障がい者さんと過ごすこと…
個人情報の問題から、あまり具体例があげられないので、うまく伝わるかどうかわからないけど…
知的障害を持った方と過ごしてもうすぐ2年経つ。
私自身はこの人たちと出会えてよかった!!と思うことのほうが多い。
正直、今少し苦戦中だけど…
一緒に考えていける人がごくわずかでもいてくれるので「きっといい方向に向かう」と思っている。
ただ、同じ仕事をする人たちの中でも、知的障害を持った方に対する見方が共有できてないため、利用者さんとのかかわり以上に「しんどいな…」と感じることが増えた。
私が普段接している利用者さんは本当に素直で面白いのだ。
思ったことをうまく言葉で伝えられなくても、顔や態度でわかる。
時にはちょっとした悪知恵を使って振り回してくるけど、私を貶めようとしているわけではない。
逆に職場の人たちのほうが本音がわかりにくかったりして、あとで「本当は何を言いたかったの?」と混乱したり、場合によっては怒りがこみ上げてきたりすることがある。
仲良くやっていこうという思いは持っていても、仕事、それも利用者さんたちに対することについて共通の理解を持たずにやっていかないと無理が出てくる。
そこを外しておいて「仲よくしよう」「飲みに行こう」「食事に行こう」なんて言われても…
利用者さんが全員男性のため、調理中などに私のすぐそばに立っていることを心配する人がいるけど、私としては「何を想像してるの?」と、その心配のほうが気持ち悪いのだ。
利用者さんは私が女性だから接近しているのではない、私の野菜を切る動き、大好きなおかずができるところを見たいだけなのだ。だから職員が同じことをしたら言っている「そこに立たないで」と…
むしろ…私にとっては仕事時間外にルールのないところに誘う人のほうがよっぽど怖いのだ。
去年の夏、全国の障がい者施設を震撼させた事件が起きた。19人もの命を一人の、それも支援にかかわる職員が奪ったのだ。
加害者の言葉を聞いて私は思った。
障がい者さんは弱い人でも不幸な人でもない!!
不自由さを抱えながら生き抜いている強さを持った人たちなんだと…
助けを求めることは実はとても難しい、それは恥ずかしさだったり、屈辱を伴うことも多い。そんなことも含めて乗り越えてきた強さとしたたかさがあるのだ。
だから、こちらが一方的に何かをしてあげればいいというものではない、
自分で決めたい、やりたい、という思いを少しでもかなえるためのお手伝いだと私は思っている。
それを勘違いすると「こちらのいうことが理解できない(実はわかっていることのほうが多いのに)・鈍感」「手助けが必要なのに、わがままで困った人たち」というスティグマを貼ってしまう。
そういう理解しかしてくれないと思わせたら、心を開いてくれないからこちらの言葉も届かない。よく考えたら私たちだって同じ…
私もついイライラしてしまうことがあるけど、その気持ちを自分で自覚して、気持ちや感情を言葉で伝えるように心がけている。「そんなことしたらダメ」ではなく「それはやめてほしい」「それをされたら腹立つよ、悲しいよ」みたいに…
普段から自分を受け止めてくれている、と思える関係になっていればこれで伝わるのだ。私もまだまだだと思うけど、それはこれからも努力していくしかない。
今の仕事に就いた当初、トップが言った言葉が印象に残っている。
「太陽は西から昇る!という人がいたら、違う東だ!と教えることに躍起にならずに自分が西を向いてみなさい、西に何か見えているから言っているんだ」と…
上手くいかないとき、思い出して自分の対応を振り返っている。
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